2013年12月11日

送辞−片岡治大様、涌井秀章様−

回顧企画のために書いたものですが、長くなったで別エントリを立てました。

終盤の怒涛の連勝は、この二人なしにはありえませんでした。
どんなに頼もしく思ったか判りません。
その頃から、ワクの去就については色々言われていたけれど、そんなことは今どうでもいいじゃないか、と思ってた。彼が投げてくれればきっと勝てる、そう信じられた。
復帰までに時間が掛かりすぎてしまったけれど、内野の中心で輝いてたヤスは本当に頼もしかった。


以前チラッと書いたことがありますが、2004プレーオフをきっかけにライオンズに興味を持ち、本格的に試合を見に行くようになったのは2005年だった私にとって、この二人は「同期入団」。
デビューから、スターになって、そこから苦しむところまでずっと見続けてきました。
あの頃、平日デーゲームでやっていた選手のお出迎えハイタッチで、なあんて格好良い子がいるんだろう、って思ったヤス。
最初の年のフレッシュオールスターで、みんな割と和気あいあいとしてたのに、すでに一軍プレーヤーだったヤスは人見知りな性格もあって、何だか打ち解けられずにぽつんとしてた。大丈夫かなこの子、って心配になったり。でも、本当に最初から存在感を示してたね。
一度、出陣式(あの頃まだ壮行会だっけ?)の前にプロペ通りでパレードする…あれ、出陣式前だよね?記憶曖昧だけど、そういう企画があって。
「ヤスー!」って声かけたらすっごいいい顔で振り向いてくれたことがあったっけ。多分写真取られると思ってたんだろーに、私にはシャッターチャンス捉えられんかったっけなあ。

神宮のワクの初勝利は、生で見た。
まだ危なっかしかったけど、1年目としては十分。その後、どんどん勝てるピッチャーになってったワク。
最初は本当に喋れなくて、オフのイベントでもワクに話を振ると、ながーい沈黙が延々続いて、一緒にいる選手が色々フォローしても、なかなか言葉が出てこなくて司会の人とか困ってたよなあ。
今年のファン感で、どちらかというと今でも無口な岸くんと、後輩で自分からは色々言えないあっきーが並んで、喋ってるのは実況の一美だけ、って状況になった時、自分から場を盛り上げるべくしゃべりだしたのを聞いて、ああ、ワク、ホントに大人になったよなあ、としみじみしてしまった。あんな状況だったのに。

西武球団は、あまりにも立て続けにやってくる流出危機に、優先順位を付けざるを得なかった。
先発で結果を残せなかった涌井と、何年もケガで半分しか試合に出られていない片岡は、優先順位を落とさざるを得なかった。
片岡は、より厳しい環境で自分を試す道を選んだ。
涌井は、まだどうなるかわからないけれど。
彼らがいてくれたから、勝てたのだ、という気持は変わりません。
今までありがとう。
そして、ワク、上手く行かなかったら…帰ってきても、構わないんだよ。

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posted by まるま at 16:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 回顧企画2013 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なみだが、、、
じんわり出てきます

出ていったら4年後でもいいから
帰ってきてほしいなぁ。。。
Posted by たんさんすい、 at 2013年12月11日 22:45
>たんさんすい、さん
ありがとうございます。
ワクの代理人氏は粘る人ですが、そろそろ決まってほしいものです…
Posted by まるま at 2013年12月12日 12:52
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